TOMOKO (シンガー)
専門:シンガー
年齢:n/a

10歳のときに音楽に目覚め、音楽活動を志す。バブルガムブラザーズのバックヴォーカリストとしてNHKほか多数出演し、自らも黒人バンドを率いて東京の数々のライブハウスで腕を磨く。日本のDJのパイオニアとして知られるDJモンチがプロデュースするJUPITER PROJECTの初めての日本人ヴォーカリストとして起用されクラウンレコードよりKilling Me Softly with his Songでデビュー。その後も芸能活動を続けるが英語を理解できない日本の観客と作品創作に限界を感じNY行きを決意し、1997年渡米。R&B老舗として有名なNELL'SやLe Bar Batなどでソロライブをsなったり、「ソウルトレイン」にダンサーとして起用もされた。ほかにもテレビやショー、ミュージカルなど全米中を精力的に活躍中。2002年1月から2003年4月までウェストビレッジのBaggot Innで毎月人気を博した「アジア・エンタテインメント・ナイト」を自ら司会プロデューX。才能あるアジア人タレントをアメリカの音楽界で成功させるきっかけ作りとして、今後も同様のショーをプロデュースしていく。

10歳で音楽に目覚めたものの、アメリカに来るなど夢にも思わなかった。アメリカ行きを決めたときは2年以内に成功するつもりだったが、渡米から6年が過ぎてやっと今、スタートラインに立ったと感じている。日本ではエネルギーが有り余っていると言われてきたが、アメリカでは全部を出し切ってもまだたりない。そんなアメリカでなんとか成功したいと奮闘を続ける。

 もう何十年も前のことなのに、今でもはっきり覚えている。「ブサイクな娘やな」。久しぶりに出会った5歳の自分に、水商売をしていた母親はそう吐き捨てるように言った。仕事に忙しい母親と会うことはあまりなく、普段は家政婦が自分たちの面倒を見てくれていた。休むことなくがむしゃらに働く母親が疲れていたことは、今なら多少、理解できる。だが当時の自分は、久しぶりに会えた母親に言われた言葉がショックで自信を失った。コンプレックスを乗り越えるのに10余年を要した。

 3歳のときから人前で歌っていた。10歳でカーペンターズと出会い音楽に目覚める。ビートルズを経てスティービーワンダーにはまり、やがて黒人音楽に傾倒していく。英語と音楽はいつも一緒だった。高校時代にスカウトされるなど、音楽の道に進むチャンスは何度かあった。しかしコンプレックスから逃れられなかった。すべてを吹っ切って音楽の道に進むことを決めたのは大学生になってからだ。

日本でやれるだけのことをやろうと大阪から上京した。日本で一流といわれる人々と一緒に仕事する機会も増えていった。アメリカに行くなど考えもしなかったが、自分の能力や考え方を本当に理解してくれる人がいないことにやがて気づき、渡米を決める。
  今、改めて思う。「日本は、自分の能力を実際より低く見せたほうが周りから受け入れられるし、うまくいく。でもアメリカは自分の能力を全部出し切ってもまだまだ足りない。NYに来て初めて、素のままの自分でいられるようになった。同じ人生なら例え失敗しても自分のすべてを出したい」。

優秀だった父は母の店を陰で支えた。客でにぎわう夜は姿を隠し、昼間に店の経理や業界団体の会合などに奔走する黒子に徹した。父あっての母だったことは明らかだが、母親はそのことに気づかない。母はいつも父をののしり、夫婦喧嘩は毎日だった。自分が店を継ぐことを母親は望んだが、母親嫌いの自分にその気はなかった。死ぬほど働いて余裕が出来たとき、母に乳がんが見つかった。8年前に再発し、そして亡くなった。その数年前に父親が突然、倒れた。母は初めて夫の重要性に気づき、献身的に看病した。その後はこれまでのケンカが嘘のような仲良し夫婦になった。人生の最期に、母親は幸せを手にした。

 ニューヨーク行きを決めたとき、力になってくれたのは父親だ。母が亡くなってから父は長年の夢だった英国留学を実現するなど、自分の人生を楽しむようになっていた。観光ビザで一緒に渡米し、まずハーレムにあるアポロへと向かった。手を挙げて一般客が歌える場面で歌い、観客から受けた。「このとき『このままここにおらなあかんな』と運命のようなものを感じた」。東京に戻ってアパートを引き払い再び渡米。貯金を使い果たしたあとは父親の援助で暮らし、今はベビーシッターのアルバイトでなんとかつないでいる。

 芸能界で生き抜くことは難しい。「どこの国でもコネやお金など裏の世界があることはわかっている。でもこの国はそれだけでは生きていけない。実力がないと絶対に受け入れられない。アメリカ人はソウルを聞く耳と見る目を持っている。それが、日本ではなくアメリカで勝負する理由」と彼女は語る。

 「歌手として自分の名前が売れるようになって、さらにアジア人のタレントを輩出するエージェントを作ることが夢」と彼女は言う。自ら舞台に立つだけでなく、アジア人アーティストの発信の場である「UPTOWN ASIAN NIGHT」を企画。夢に向かって着実に歩を進めている。★


UPTOWN ASIAN NIGHTモータウンの大御所歌手夫妻Ashford&Simpson'sが経営するバーSugar Barにて8月30日(土)PM8:00よりアップタウン・アジアン・ナイトが行なわれます。


 

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