畑山貴代  (歯科医師)
専門:歯科医師
年齢:n/a
出身地:熊本県熊本市生まれ

白川小学校、白川中学校、熊本高校卒業。 日本歯科大学卒業後、国際デンタルアカデミーにて、補綴臨床および歯科医師の教育に携わる。1985年渡米。ボストン大学歯学部および同大学院歯周病科を卒業。89年ニューヨーク州歯科医師免許を取得し、勤務医として地域日系人社会の歯科治療に携わる。 95年に独立開業。 前べスイスラエル病院顧問医。アメリカ歯周病学会会員、アメリカ歯科医師会会員、コロンビア大学歯学部臨床助教授。

畑山デンタルオフィス
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私たちには家族がいる。生まれる家族と生む家族。多くの人は生涯に二つの家族をもつ。親は子の健やかな成長を願い、子は親の穏やかな生活を願う。幸せにしたいという思いは誰よりも強いのだが、人を幸せにすることはそんなに簡単なことじゃない。時として、自分が夢を追い求めることで家族に負担をかける事だってある。歯科医の畑山貴代さんは、20代後半に妊娠、結婚。30代になって単身渡米した。子どもを親に預け、アメリカでの再起に賭けた背景には「このままの状況は誰にとってもHAPPYじゃない」という悲壮なまでの思いがあった。自分を確立して初めて人を幸せにできる。自分の夢を諦めることなく追い続ければ、いつか結果はついてくる。歯科医としてNYで開業し、16年ぶりに娘と暮らす畑山さんのすがすがしい笑顔を見てそう思った。

「アメリカという国が私を育ててくれた。
夢を手に入れ、いつかこの国に恩返ししたい」

妊娠というアクシデント

 熊本で歯科医院を開業する父親の影響だろうか。高校を卒業すると歯科大へ進学、歯科医になった。人生の大きな転換期は、勤務医として働いていた20代後半に妊娠という形で訪れた。自分で選択したというよりは、予想もしなかったアクシデント。父親がいないわけにはいかないと慌てて籍を入れたが、そんな状況で幸せな家庭など築けるはずもない。一度も家族3人で暮らすことなく、実家へ戻った。子育てしながら父親の病院を手伝うが、居心地のいいはずがない。
「このままでは両親にとっても自分にとっても子どもにとっても、誰にとっても良くない」。悩みに悩んだ末、「まずは自分をきちんと確立しないと、子どももHAPPYに育たない」との結論に達し、歯科医として東京で再スタートすることにした。年老いた両親には、とても孫を育てる体力がないと断られた。ところが幸いなことに夫の両親はまだ50代と若く「いつでも面倒見るから預けて欲しい」と言ってくれた。その言葉にすがり、2歳半の娘を青森に預け、単身上京したのだ。
  あらゆる方面から批判を受けた。娘も母親に捨てられたとしか思えないだろう。それでも「あの時の自分は、精神的にも金銭的にもとても子どもを育てられるような状況じゃなかった。自分が育てていたら二人ともだめになっていたと思う」と涙ながらに振り返る。
  東京で勤務した歯科医院には、アメリカから有名な歯科医が頻繁に訪れていた。留学する歯科医も珍しくなかった。歯科の世界ではアメリカが最先端。次第にアメリカで勉強したいという思いが強くなっていった。

アメリカだから夢を実現できた

 ボストンの大学院に進学しようときめたのは30代前半のことだ。同業の父親は3年後に帰国することを条件に、経済面でサポートしてくれた。歯科医として女性として、何より人として大きく成長して帰国するはずだった。が、日本とアメリカでは自分に対する扱いに雲泥の差がある。アメリカでは精神的なサポートが手厚く、女性でも何らハンディを背負うことなく開業できる。どうしてもこの土地で開業したいと思うようになった。ただアメリカで開業資格を得るためには、大学に入りなおさなければならない。父親に自分の考えを伝えると、ショックで寝込んでしまった。もはやこれ以上のサポートは期待できない。東京で勤務医をしていた頃に購入したマンションを抵当に日本の銀行から学費を借り入れ、自力で大学生活を送ることにした。アメリカで開業するためのもう1つの条件はグリーンカードの取得だ。在学中にグリーンカードをサポートしてくれる歯科医を探し、卒業後は5年間、勤務した。
  マンハッタンに小さな診察室を開いたのは、95年2月のことだ。夢に向かって大きな一歩を踏み出したが「開業は人生の大冒険だった」と振り返る。自分の独立にジェラシーをつのらせるオーナーへの対策として、開業の準備は秘密裡に行った。顧客を取り上げられることもわかっていたので1年前から別の仕事を見つけ、当面の収入を確保した。勤務医時代は歯周病の専門医として働いていたので、一般診療をすることも大きな決断だった。開業資金の3万ドルはアメリカのSBAから調達した。
  念願の開業医になったものの、数人の歯科医がオフィスをシェアする状態では思うような診察ができない。5年かけて物件を探し昨年6月、現在の場所に自分のオフィスを構えた。このときもSBAから資金を調達した。「アメリカ政府には資金面で2回も世話になった。大学では、日本では受けられないような高い教育を受けることもできた。私はこの国に育てられ、この国だから夢を実現できた」と言う。

14年ぶりの再会、そして親子二人暮し

 26歳になる娘とは現在、アメリカで一緒に暮らしている。高校生の夏休みに語学留学のためカナダへ来たとき、14年ぶりに再会した。以降、電話や手紙で連絡を取り合ってきた。大学受験を前にして育ての母親である祖母が亡くなった。ショックから受験にも失敗し、行き場を失った。母親である畑山さんは「今なら何かしてあげられると思う。最初からやりなおしてアメリカの大学に行ったらどう?」と声をかけ、娘の決断を待った。彼女は2年ほど悩んだ末に渡米し、今は大学の3年生だ。「精神的に安定していた祖父母に娘を預けたおかげで、性格のよい子に育ってくれた」という畑山さんの表情は、やさしいお母さんそのものだ。
  夢の実現までに一体、どれほどの紆余曲折を経てきたことだろう。多くの回り道をした末にやっと、自分の思うような診察ができるオフィスを手に入れ、大切な娘との生活を再開した。失われた時は二度と戻らないが、それでも人には過去を補って余りある未来がある。妥協せず自分と向きあったからこそ、これからは家族と向き合うことができるのだ。

 筆者自身、子ども時代は家族に恵まれなかった。両親はケンカばかりでやがて離婚。一緒に暮らした父親は事業が上手くいかず、いつも借金取りに負われる生活だった。何度も親を恨んだが、畑山さんの話を聞きながら、あの時の親の気持ちが少しわかったような気がした。きっと父親は、僕たち子どもを幸せにしようと必死だったんだと。



 

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