石井龍二  (AFC Corporation 社長 )
専門:AFC Corporation 社長
年齢:n/a
出身地: 静岡県三島市出身

1952年生まれ。日本でスポーツトレーナーとして働いた後、25歳で渡米。ロサンジェルスのカリフォルニア州立大学で会計学を専攻。卒業後は現地の会計事務所で会計士として働く。
その後、食品会社にフランチャイズ店の副社長として引き抜かれるが、2年後に退社。1986年にAFCを設立、現在に至る。

AFC Corporation
19205 South Laurel Park Road Rancho Dominguez, CA 90220
1-866-GO-SUSHI (467-8744) 

アメリカに憧れて

全米のスーパーマーケットで寿司惣菜を販売するAFC(アドバンスド・フレッシュ・コンセプト)。その店鋪数は約1,700にのぼり、いまも年間150?170軒のペースで増えている。日本を代表する料理である寿司を、アメリカ人の食卓に浸透させた石井社長。カリフォルニア州立大学で会計を勉強した彼が選んだ職業はフランチャイズビジネスだった。 
人生はどう転ぶかわからない。自分の人生をきちんと設計することはとても大切だが、設計図に固執していると、時として大きなチャンスを逃してしまう。時代の流れや人との出会いを上手に生かすことで、新しい世界が開けてくることもある。強い意志と臨機応変な対応。アメリカで成功している人を見ると、この二つのバランスを上手にとっていることがよく分かる。

会計学を勉強して気がついた 「自分には適していない」

  石井社長がアメリカに来たのは26歳のとき。
  それまでも、英語に興味がありジムでトレーナーのアルバイトをしながら英語学校へ通っていた。当時の友人なかに英語の翻訳家がいたのだが、その友人が言った。「どうせ英語を勉強するならアメリカに行った方がいいよ」。その一言で渡米を決心した。ロサンゼルスのアダルトスクールで大学へ入る為のTOEFLの試験を受け大学入学。26歳のときのことだった。
  大学では会計学を専攻し、卒業後はアメリカの会計事務所に就職した。ところが事務所に入ってみて気がついた。「自分は会計ってものが好きじゃない」。嫌いな仕事を我慢したせいだろうか、勤め始めて2年程で体調を崩し、退職を余儀なくされる。
  その後、食品の世界に足を踏み入れる。オリエンタルフードのフランチャイズ会社だ。しかし、そこにはフランチャイズビジネスの悲惨な現実が待っていた。

 石井社長によれば「投資金額が大きいにもかかわらず商品は全く売れていない。だから事業開始から半年でキャッシュが回らなくなり、結果として店舗の売却を余儀なくされる。そしてクレームが相次ぎ、にっちもさっちも行かない状況に陥る」。石井社長は低投資のビジネスへコンセプトを変更するよう会社側と直談判するが、受け入れられず、赤字経営の責任を取り退社する。だが、スーパーマーケットを回りながら「店の差別化を図るためには惣菜コーナーを工夫すればいいんじゃないか」と気づき、退社するころには「寿司を惣菜コーナーの一角に出そう」と、新しいビジネスに向かって動き始めていた。

アメリカのスーパーで寿司の実演

 退職後、さっそく「寿司バー・コンセプト」というプロポーザルを作ってスーパーマーケットを営業に回った。ところが当時のスーパーはどこもユニオンに加入しており、なかなか入り込むことができない。みな石井社長のアイデアに興味を示してはくれるものの、「ウチの会社に入って惣菜部門を担当してみないか」と誘うばかりだった。
  もう会社員はこりごりだ。テナント入居にこだわりつづけた結果、そのコンセプトに同意しOKを出してくれたのはカリフォルニアの大手スーパー「ボンズ」だった。副社長が「テナント契約しか方法がないのならそれでやってみろ」といってくれたのだ。1986年暮れのことだった。
  店舗スペースは確保できたものの、今度は資金の壁にぶつかった。友人を保証人に銀行から融資を受けようとしたが、外国人でこれまでに信頼できる経歴や保証がない石井社長に融資する銀行などない。悶々とした日々は3カ月続いた。その間会計の知識をフルに活用したビジネスプロジェクション等を作成し、ボンズの契約書をある銀行の支店長に見せ 石井社長は支店長決済で最低限度額5万ドルの借り入れに成功した。早速ロングビーチにオフィス兼ウエアハウスを構え、いよいよ寿司ビジネスが動き出した。
  寿司は鮮度が命だ。衛生面でなにか問題があれば大事になりかねない。ボンズも石井社長も衛生面に細心の注意を払った。ボンズのクオリティコントロールのスタッフは商品の入手ルートをチェックしてくる。「店は物凄く繁盛したが、ボンズ側には生鮮材料を扱う寿司はリスキーな食品という固定観念が強くどんな問題が出てくるかわからないので慎重に慎重を尽くし半年間は2号店のオープンに取り掛からなかった」と当時を振り返る。
  石井社長は、衛生面でのクォリティを保つために、品質マネジメントシステムを打ち出し米国食品衛生基準を高水準に保つ基盤を定着させた。寿司バーの衛生管理には厳しい集中教育を要しシーフードマニュファクチャーには第三者監査も必要条件とするなど品質管理に徹底している。
  スーパーマーケットで買い物をする途中、新鮮でヘルスコンシャスな材料を使った寿司をその場で作ってもらい家に持ち帰り家族で楽しむ。この斬新なアイデアが当時のアメリカ人消費者の心をぐっとつかんでいった。その後も生春巻きを使ったサマーロール、更に寿司を初めて口にするお客さんのために試食サイズのミニ握りパック、ミニロールパックをはじめとしたユニークなメニューを開発、新鮮な商品に適したお洒落な容器で市場を拡充している。また、フランチャイズ企業に積極的に取り組み基盤を確立した現在はスーパーだけでなくアミューズメントセンター、スポーツアリーナとも提携し規模を拡大している。
  さらに、わさびドレッシングなど関連商品の開発にも取り組み、寿司の枠を越えた食品メーカーとして事業を次のステップへと展開し続けている。


 

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