日野原重明先生

アメ★ドリ独占インタビュー
日野原重明先生
聖路加国際病院理事長・同名誉院長

日野原先生は御年96歳。すでに著書は250冊を数え、「生き方上手」は大ベストセラーにもなりました。その日野原先生がこのたび、忙しい業務の合間をぬってNY入りされました。目的はジョン万次郎がかつて住んでいた家を記念友好会館にし、日米交流の拠点とすることです。ロッキー青木邸で開催されるウエルカムパーティの前に慌しく、アメ★ドリは独占インタビューを行いました。


 今回NYに来た目的は、ジョン万次郎とオスラー協会のためです。オスラー博士はカナダで生まれ、アメリカのジョンホプキンス大学医学部の基礎を作った偉大な人です。お会いしたことはありませんが、彼が書いたものに非常に感銘して、20年前にアメリカでオスラーソサエティが出来たとき、私はアメリカ以外の東洋の唯一の名誉会員となりました。そして日本にオスラーソサエティを作りました。私にとってはメンターというべき人です。今回はアメリカオスラー協会の年次総会に出席し、そこで万次郎の話をしたいと思っています。その後、万次郎の住んでいたフェアヘブンへ行きます。そして地元のNGOにジョン万次郎が住んでいた家の改修工事をお願いするつもりです。自宅を万次郎記念友好会館にし、地元の人々に運営していただきたいと思っています。そして私たちは後援会を作ってサポートしたいと考えています。今後、日本人観光客がナイアガラに来たら、ボストン、フェアヘブンそして、NYへと回るような観光ルートにしたいと考えています。フェアヘブンは貧しい港町だけど、たくさんの日本人が行けば観光がビジネスになり、町が活性化するのではないかと期待しています。

万次郎は絶対に忘れてはいけない人。日米の橋渡しを最初にした人

 万次郎は日本とアメリカを最初に橋渡しした重要な人物です。日本では新渡戸稲造先生が「太平洋の橋となりたい」と、国際連盟の事務次長をやりましたが、それよりももっと前、180年前に日本人で初めてアメリカでホームステイして、後に鎖国中の日本を開国するよう幕府を説得した人なのです。勝海舟や福沢諭吉を連れてアメリカへ行き、彼らに大きな影響を与えた人でもあります。

 ボストンから車で1時間のところにフェアヘブンという町があり、そこにジョン万次郎の住んだ家が残されています。私はそれを保護して万次郎記念友好会館にしたいと考えています。そして、来年新しいアメリカ大統領が就任し、日本の首相がアメリカに来たときに二人が会う場所として、この会館を活用できればと願っています。

 万次郎は14才の時に土佐から出漁しました。しかし嵐で遭難し無人島へ流され、143日間にも及ぶ無人島生活を強いられました。救ってくれたのは、マサチューセッツ州フェアヘブンの捕鯨船「ジョン=ハウランド号」でした。このホィットフィールド船長は、万次郎をはじめとする5人の日本人をホノルルに上陸させましたが、万次郎だけはホノルルに残らずに、フェアヘブンまでついていきました。そして約10年間アメリカで暮らしました。その頃日本は鎖国中だったので、帰れなかったのです。アメリカの船からボートに移り、こっそり琉球に入りましたが捕まって2ヶ月調べられました。やっとの思いで故郷の土佐に帰れたわけですが、そこで異例の出世を果たし、侍になったのです。その後の万次郎は幕府に開国を進言し、勝海舟らとともに使節団のメンバーとして再びアメリカに渡ります。

 ルーズベルト大統領の孫がフェアヘブンに住んでいた時、お爺さんから「万次郎のような少年になれ」と言われたそうです。アメリカでは彼の功績はきちんと評価されています。万次郎の自宅を会館にする話はこれまでにも出ていましたが今ひとつ盛り上がらなかったようです。相談された私はすぐに買いなさいといいました。私がお金を立て替えて、私がお金を集めるからと、オークションをやめさせました。2-3人でお金を立て替えました。スタートして3ヶ月くらいで1億円近く集めました。経営のためにはファンドが必要なので後援会を作るんです。来年のオープニングの会は大々的にやります。日本から100名くらい連れていく予定です。

 朝日新聞に募金の話を書いたことがありました。4日後に北海道から書留が届きました。中には100万円の束が5つと3行だけの手紙が入っていました。「足りないけども、先生の万次郎の建立に使ってください」と書いてありました。住所も書いていないし匿名です。そんなようなお年よりもいるんです。

日本の1000円札に万次郎の肖像を

 もう1つやりたいことは、日本の千円札に万次郎の肖像を入れることです。財務省に交渉しようと思います。若い人に言いたいことは、夢と勇気を持ちなさいということです。人間には4つの生き方があるとプラトンが言っいます。1つは英知、2つは正義、3つ目はセルフコントロール、そして最後に勇気です。勇気をもって行動していけば、だんだん結果がついてくるものです。自分の目標とコミットメントすることも大切です。10年間の予定表を作ること。誓約書をつくることです。やることがたくさんありすぎてなかなか死ねないですね。


日野原重明 1911年山口県生まれ。37年京都帝国大学医学部卒業。41年聖路加国際病院内科医となる。以来、内科医長、院長代理、院長を経て、現在は、聖路加国際病院理事長・同名誉院長、聖路加看護学園理事長、財団法人ライフ・プランニング・センター理事長など。98年東京都名誉都民、99年文化功労者。早くから予防医学の重要性を指摘し、終末期医療の普及、医学・看護教育に尽力。成人病とよばれていた病気について「生活習慣病」という言葉を生み出すなど、常に日本の医療の先端を走っている。96歳の現在も、医師としての活動を続けている。

オスラー博士(1849-1919):カナダに生まれ、北米および英国で活躍した医師。医学生を患者のベッドサイドで教育することや、医学は「サイエンスに基づいたアート」であるという全人医療の考え方を提唱した。それに加えて、哲学、文学、宗教など多方面にわたる深い学識に根ざした講演集『平静の心』によって有名である。


(05/5008)

 

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